2022年9月の講義 「カヤの平」
- manebiyalecoda
- 2022年9月29日
- 読了時間: 2分
●前半「カヤの平」
(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収)
●後半「小林秀雄、生き方の徴」
(見るということ、聴くということ)
前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第十峰、「カヤの平」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収)を読みます。
「カヤの平」は、紀行文です、しかし、並みの紀行文ではありません。昭和八年(一九三三)、三十歳の一月、小林先生は文学仲間でもあった深田久弥氏についてスキーを習い始めました。ところが翌月、二人で行った信州で大変なことになります、一七〇〇メートル級の山を七つも越えるという山越えスキーに参加してしまったのです。そのときの七転八倒、悪戦苦闘の一部始終を書いて九年十月、『山』に発表された「カヤの平」は、二十九年、柳田國男氏が自ら編んだ高校二年生用の国語の教科書に全文載せられ、後に小林先生は自分の文章が教科書に載って唯一嬉しかったのがこの紀行文だと「国語という大河」(「小林秀雄全作品」第21集所収)に書いていますが、とにもかくにもこの紀行文、小林先生の機知と諧謔が相俟って全篇これ喜劇の趣き、最後は抱腹絶倒させられます。
そして後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「見るということ、聴くということ」です。小林先生は、「美を求める心」(同第21集所収)で言っています、
――見るとか聴くとかという事を、簡単に考えてはいけない。ぼんやりしていても耳には音が聞えて来るし、特に見ようとしなくても、眼の前にあるものは眼に見える。見たり聞いたりすることは、誰にでも出来る易しい事だ、頭で考える事は難かしいかも知れないし、考えるのには努力が要るが、見たり聴いたりすることに、何の努力が要ろうか、そんなふうに考えがちなものですが、それは間違いです。見ることも聴くことも、考えることと同じように、難かしい、努力を要する仕事なのです。…
講師 池田雅延
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