top of page
メイン紹介文

 

「私塾レコダL’ecoda」

●小林秀雄と人生を読む夕べ について

 2019年1月、東京中野の「江古田の杜」で始まりました!

 

    日本の近代批評の創始者・確立者として大きな足跡を残した小林秀雄氏(1902~1983)は、深い思索と気風(きっぷ)のよい文章で人生の教師としても仰がれ慕われました。その小林氏の主要な作品を順次取り上げ、氏とともに人生を読み味わっていきます。

    この集いは、新潮社の元編集者で、小林氏の生前最後の担当編集者として氏の肉声を聴き続けた池田雅延氏を講師として毎月1回ひらかれ、月々1篇ずつ小林氏の作品を読んでいきます。 

 これまでに読んだ作品については、上欄の「これまでの講義」を、参加者の皆さまからのご感想は、「感想欄『交差点』」をクリックしてみて下さい。

●毎月第3木曜日 19:00~20:50

 Zoomを利用したオンライン講義です!

 2022年4月から新シリーズ「小林秀雄山脈縦走講座 全20回」がスタートしました!

●10月の講義 2022年10月20日(木) 

  「私小説論」​(新潮社刊「小林秀雄全作品」第6集所収)

     19:00~19:40 講義 (前半) 

   「私小説論」
     19:40~19:50 休憩 
     19:50~20:30 講義 (後半)
         「小林秀雄、生き方の徴」

   (見るということ、聴くということ)
     20:30~21:00  フリートーク 


 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第十一峰の「私小説論」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第6集所収)を読みます。この論文は小林先生三十三歳の年の昭和一〇年(一九三五)五月から雑誌『経済往来』に連載されました(八月まで)。
 「私小説」とは、作者が作者自身の実生活やそれに伴う心境を一人称で綴った小説とされていますが、この「私小説」という小説のスタイルは日本独自のもので、明治四〇年(一九〇七)に田山花袋の「」が現れ、以来「私小説」は日本の近代小説の主流となって、文壇では「私小説」は小説と言えるかどうかを軸として「文学」というもののあり方が議論されるまでになっていました、小林先生の「私小説論」は、そういう気運の真っ只中へ投じられたのです。
 しかし、小林先生が論じようとした「私小説」は、日本のせせこましい「私小説」ではありません、世界的規模での「私小説」です。一八世紀の末、フランスに現れたジャン=ジャック・ルソーの「告白」に衝き動かされて作家たちはさかんに自己告白を行いましたが、一九世紀後半になると自然科学に準じて興った実証主義に圧迫され、近代社会にも踏みつけにされて実生活では自己告白の道を閉ざされたフロベールやドストエフスキーが、それならと作中人物を通して自己告白を行った小説、たとえばフロベールの「ボヴァリー夫人」です、これらの長篇小説を小林先生は「私小説」と位置づけて論じます。フロベールやドストエフスキーは、「私」を消して「私」を書いたのです。
 小林先生は、「私小説論」を書く前年の昭和九年一月、『文藝春秋』に「文学界の混乱」を書き、そこに「私小説に就いて」と題した一節を立てて最後にこう言っています、
 ――僕は今ドストエフスキイの全作を読みかえそうと思っている。広大な深刻な実生活を活き、実生活に就いて、一言も語らなかった作家、実生活の豊富が終った処から文学の豊富が生れた作家、而も実生活の秘密が全作にみなぎっている作家、而も又娘の手になった、妻の手になった、彼の実生活の記録さえ、嘘だ、嘘だと思わなければ読めぬ様な作家、こういう作家にこそ私小説問題の一番豊富な場所があると僕は思っている。出来る事ならその秘密にぶつかりたいと思っている。……
 すなわち、小林先生の「私小説論」は、単に「私小説」は是か非かというような文学論争に割って入ったものではありません。小林先生にとって「私」の問題は、「悪の華」でボードレールに出会って以来の「人生いかに生きるべきか」に関わる「私」であり、ゆえに「私小説論」も、バルザックの「人間喜劇」に学んだ「一流芸術とは真の意味で別な人生の創造であり、一個人の歩いた一人生の再現は二流芸術である」という明瞭な意識をもって臨んでいました。この「私小説論」での「明瞭な意識」は、最後の大作「本居宣長」で展開される「源氏物語」論、「古事記伝」論にまで一貫して続くのです。


 そして後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「見るということ、聴くということ」です。小林先生は、「美を求める心」(同第21集所収)で言っています、
 ――見るとか聴くとかという事を、簡単に考えてはいけない。ぼんやりしていても耳には音が聞えて来るし、特に見ようとしなくても、眼の前にあるものは眼に見える。見たり聞いたりすることは、誰にでも出来る易しい事だ、頭で考える事は難かしいかも知れないし、考えるのには努力が要るが、見たり聴いたりすることに、何の努力が要ろうか、そんなふうに考えがちなものですが、それは間違いです。見ることも聴くことも、考えることと同じように、難かしい、努力を要する仕事なのです。……

 講師 池田雅延

【参加費】 

  一般2,000円、学生1,000円

【お申込み方法】

① ホームページの一番下「お申込み/お問合せ」欄より、または、

  manebiya.lecoda@gmail.com 宛にメールをご送信下さい。

 

  タイトルにご希望の受講日を「●月○日受講希望」と記し、

  お名前(必須)とメールアドレス(必須)を明記して下さい。​

② 受付後、事務局から入塾申込書のフォームをお送りいたします。

  こちらをご記入の上、ご返送いただきましたら、

  参加費の振込み口座をお知らせいたします。

  その口座に参加費(一般2,000円、学生1,000円)を

  開催日(第3木曜)の2日前(第3火曜)までにお振込み下さい。

​​

③ 参加費の振込が確認できた方に、

  後日、Zoomミーティング専用URL、ID、パスワードと、

  ミーティング入場方法を記した招待メールをお送りします。

         ※URLがお手元に届いたあとは、キャンセルはできませんのでお含みおきください。

●9月の講義 2022年9月15日(木) 

  「カヤの平」​(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収)

    「小林秀雄、生き方の徴」

   (見るということ、聴くということ)

 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第十峰、「カヤの平」(新潮社刊「小林秀雄全作
品」第5集所収)を読みます。
 「カヤの平」は、紀行文です、しかし、並みの紀行文ではありません。昭和八年(一九三三)、三十歳の一月、小林先生は文学仲間でもあった深田久弥氏についてスキーを習い始めました。ところが翌月、二人で行った信州で大変なことになります、一七〇〇メートル級の山を七つも越えるという山越えスキーに参加してしまったのです。そのときの七転八倒、悪戦苦闘の一部始終を書いて九年十月、『山』に発表された「カヤの平」は、二十九年、柳田國男氏が自ら編んだ高校二年生用の国語の教科書に全文載せられ、後に小林先生は自分の文章が教科書に載って唯一嬉しかったのがこの紀行文だと「国語という大河」(「小林秀雄全作品」第21集所収)に書いていますが、とにもかくにもこの紀行文、小林先生の機知と諧謔が相俟って全篇これ喜劇の趣き、最後は抱腹絶倒させられます。
 そして後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「見るということ、聴くということ」です。小林先生は、「美を求める心」(同第21集所収)で言っています、
 ――見るとか聴くとかという事を、簡単に考えてはいけない。ぼんやりしていても耳には音が聞えて来るし、特に見ようとしなくても、眼の前にあるものは眼に見える。見たり聞いたりすることは、誰にでも出来る易しい事だ、頭で考える事は難かしいかも知れないし、考えるのには努力が要るが、見たり聴いたりすることに、何の努力が要ろうか、そんなふうに考えがちなものですが、それは間違いです。見ることも聴くことも、考えることと同じように、難かしい、努力を要する仕事なのです。… 

 講師 池田雅延

●8月の講義 2022年8月18日(木) 

  「故郷を失った文学」​(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)

​  「小林秀雄、生き方の徴」(知るということ、感じるということ)

 

 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第八峰、「故郷を失った文学」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「故郷を失った文学」は、小林先生三十一歳の年の昭和八年(一九三三)五月、『文藝春秋』に発表されました。

 小林先生は、明治三十五年四月に東京で生れましたが、東京に生れたとは感覚的に合点できず、自分には故郷がないという不安な感情があると言います。明治の東京は開国日本の首都として雑多な物事と早すぎる変化の坩堝だった、思い出を育む暇はなかった、思い出のないところに故郷はない、文学も同じだ、日本の作家には明治に渡来した西洋文学の伝統に思い出はなく、だから日本の現代文学には故郷がない、明治以降、大人の鑑賞に耐える現代文学が現れなかったのはそのためだと言って思索を巡らせます。

*そして後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「知るということ、感じるということ」です。

 講師 池田雅延

●7月の講義 2022年7月21日(木) 

  「Xへの手紙」​

   (新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)

  「小林秀雄、生き方の徴」

   (読むということ、書くということ)

 前半の<小林秀雄山脈55峰縦走>は、第七峰、「Xへの手紙」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「Xへの手紙」は、昭和七年(一九三二)九月、小林先生三十歳の秋、『中央公論』に発表された小説です。 
 俺は元来、哀愁というものを好かない性質だ、あるいは君も知っているとおり、好かないことを一種の掟としてきた男だ、それがどうしようもない哀愁に襲われているとしてみたまえ、事情はかなり複雑なのだ……と、自分について、世間について、恋愛について、孤独について、三十歳の青年が熱く烈しく訴えます。わけても恋愛についての独白は、小林先生自身の実生活が背後にあるとされ、女は、俺の成熟する場所だった、書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた……と、男と女であることの神秘が精神の劇として認識されていきます。
 小林先生は、大正十一年十一月、二十歳の年の「蛸の自殺」以来「一ツの脳髄」「飴」「女とポンキン」と相次いで小説を発表し、昭和七年九月、「様々なる意匠」で雑誌『改造』の懸賞評論二席に入って華々しく批評家として文壇に出てからも「からくり」「眠られぬ夜」「おふえりや文」と小説を書き続けていました、ところが、昭和七年、「Xへの手紙」を最後に小説はまったく書かなくなりました。何があったのでしょうか。『中央公論』編集部は小林先生に「小説」を依頼し、先生も「Xへの手紙」を小説のつもりで書いたのです、しかし出来上がったその「小説」は、「小説」と言うよりも「批評」でした、「批評」の文体でした。「様々なる意匠」に記された言葉を借りれば、小林先生の「宿命」が先生に「小説」ではなく「批評」を書かせ、以後、先生の書く文章はことごとく「批評」となっていったのです。
 今回は、こうして「批評家小林秀雄」の実質的誕生となった「Xへの手紙」を繙きます。
 そして後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「読むということ、書くということ」です。

 講師 池田雅延

●6月の講義 2022年6月16日(木) 

  「様々なる意匠」​

   (新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)

  「小林秀雄、生き方の徴」

   (考えるということ)

 

 前半の<小林秀雄山脈55峰縦走>は、第三峰、「様々なる意匠」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)を読みます。
 「様々なる意匠」は、小林先生の文壇デビュー評論です。昭和四年(一九二九)、二十七歳の年、雑誌『改造』の懸賞評論に応じ、第二席に入って同誌の同年九月号に掲載されました。
 一言で言えば、小林先生の批評家宣言です。それまでの日本の文壇では、批評とは評者の趣味やマルクス主義などのイデオロギーを作者に押しつけて良し悪しを言う、そういうものでした。小林先生は、それらの評者に烈しく詰め寄って問いかけたのです、
 ――人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!……
 この雄叫(おたけび)が日本に近代批評の道をひらき、以後五〇年以上にわたって続いた小林先生自身の自己発見への旅立ちをも告げたのでした。
 
 後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「考えるということ」です。
 私たちは、通常、「考える」という言葉を次のように使っています。
 ――今夜の夕食、何にしようか、一緒に考えてよ。……
 あるいは、
 ――今度の連休、どこへ行く? みんなで考えようよ。
  ここでの「考える」は、誰もがすでに知っている事柄をいくつか取り出し、それらを比較検討して当面の課題に結論を出す、という意味でしょう。食事であれば寿司かカレーかイタリアンか、といったような事柄ですし、旅行であれば京都か北海道か沖縄か、といったような事柄です。
 すなわち考える対象は、それが何であるか、どんなものであるが一応わかっているものばかりです。
 ところが小林先生は、「考える」とはそういうことではないと言います。目の前に見えてはる、手で触ってみることもできる、しかしそれが何であるか、どういう意味をもったものであるかはまだわからない、そこでそれらをわかろうとする、知ろうとする、そういうときの心と身体の動きを言った言葉、それが「考える」なのだと言うのです。そうであるなら、よく考えようとすればまず「考える」にふさわしい心と身体の動きを知っておく必要がある、ということになるでしょう。

 その「考える心と身体の動き」はどういう動きであるかを小林先生に教わってお話しします、ご参加下さる方は次の系統図をメモし、すぐ目に入る場所にご用意下さい。
 考える→考ふ→かんがふ→かむかふ→か・むかふ→むかふ→身交ふ

 講師 池田雅延

 

●5月の講義 2022年5月19日(木) 

 「『悪の華』一面」​

  (新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)

 「小林秀雄、生き方の徴」

  (天寿を磨くということ)

 前半の≪小林秀雄山脈55峰縦走≫は、第二峰、「『悪の華』一面」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)を読みます。この作品は昭和2年(1927)、小林先生二十五歳の年の11月に発表されました。
 「悪の華」は、今日、象徴詩と呼ばれている詩型の先駆となった19世紀フランスの詩人、ボードレールの詩集です。小林先生は第一高等学校在学中にボードレールを知るなり「悪の華」を熟読、次いで「詩人が批評家を蔵しないということは不可能である」というボードレールの言葉にも出会って大きく目をひらかれ、後の「批評家小林秀雄」の心髄も文体もボードレールによって培われました。
 今回取り上げる「『悪の華』一面」という文章自体は易しくありませんが、後年、五十二歳の年の春、ボードレールを読んだことは自分の生涯の決定的事件だったと先生自ら言っています。
    
 同じ日の後半「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「天寿を磨くということ」です。
 昭和54年の初夏、鎌倉の「華正樓」で、作家里見弴さんの卒寿(九十歳)と筑摩書房から出た『里見弴全集』の完結を祝う会が催されました。里見さんは有島武郎の弟で、小林先生より十四歳年上でしたが、その席で、発起人代表として最初にスピーチに立った小林先生はこう言いました、
――天寿という言葉があります、天から授かった寿命という意味です、僕らが天から授かったものは才能ではない、命です。ところがちかごろは、みな才能にばかり目を向けて、天才という言葉を乱用し、乱用どころか悪用までしていますが、天寿という言葉はすっかり忘れてしまっています、悪い傾向です、僕はここに現代の不健康を感じます。里見先生は、才能で書いたのではありません、天寿を磨いたのです、今度の全集も、里見先生が磨いた天寿に才能がついてきたのです、それを僕は感じます。……
 そう言った小林先生は、この年七十七歳でしたが、「本居宣長」の『新潮』連載が中盤にかかっていた七十歳の頃、別の会合のスピーチで、「近頃の自分には、命のほかに惜しいものはない、命ほど惜しいものはない」と言っていました。先生自身、早くから天寿を磨き続けていたのです。

  講師 池田雅延

●4月の講義 2022年4月21日(木) 

 「一ツの脳髄」​

  (新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)

  「小林秀雄、生き方の徴」

  (歳月をかけるということ)
 

 新シリーズの第1回4月21日は、小林先生の小説の代表作「一ツの脳髄」と、「おふえりや遺文」など他の小説作品7篇が取り上げられます。

 そして後半は、「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」と銘打ち、身近な言葉を介して小林先生に生き方の要諦を学ぶ講義で、今回は「歳月をかけるということ」です。

​ 講師 池田雅延

 

小林先生写真.jpg

小林秀雄(こばやし・ひでお)

明治35年(1902)4月、東京に生れる。昭和4年(1929)27歳の夏、「様々なる意匠」によって文壇にデビュー、以来ほぼ半世紀、本の近代批評の創始者、確立者として歩み続けた。昭和42年11月、文化勲章受章。昭和58年3月死去、80歳。

開催概要

​開催概要

※下記の開催概要は、今後また「江古田の杜リブインラボ」の会場にて開催されるようになった場合のものとなっております。

● 開催時間

毎月第3木曜日  19:00〜20:30

  *開 場 18:30

(18:30〜19:00はプレトークタイムとし、 池田講師が小林秀雄に関わるご質問にお答えします)

  *茶話会 20:45~21:45 

(講座終了後、会場近くのカジュアルレストランで茶話会を催します)

 

● 会場

江古田の杜リブインラボ 多目的ルーム 

東京都中野区江古田3-14-1

 http://www.pm-egota.com/livinlabo/other.html

                 

● アクセス

1)都営大江戸線新江古田駅から

・徒歩 約10分

・関東バス 中41中野駅行 新江古田駅→江古田区民活動センター(2分)+徒歩3分

2)JR線中野駅から

・関東バス 中25練馬駅行/中27江古田の森行

 中野駅北口のりば1→合同住宅前(20分)+徒歩1分

● 講座参加費 

一般2,000円、学生1,000円

 ※各回、会場で申し受けます。

● 茶話会(懇親会・自由参加)

・会場―江古田の杜リブインラボ1階「えごたnoMA」

・時間帯―20:45〜21:45

参加費―1,000円

 ※ビール、ウーロン茶と軽いオードブルはスタッフが適宜に用意します。

  追加をご希望の方は、各自で食券ご購入の上ご注文ください。

 

● お申込み方法

【ホームページご利用の場合】

 このホームページの一番下の「お申込み/お問合せ」欄に、下記をご記入ください。

 (1)お名前(必須)

 (2)メールアドレス(必須)

 (3)電話番号(任意)

 (4)本文(下記①②③のパターンでご記入ください)

    ①●月■日 講座と茶話会希望

    ②●月■日 講座のみ希望

    ③●月■日 講座希望・茶話会は未定

   ※①や②で申込まれた方で、ご予定が変わる場合もあるかと思います。

    キャンセル連絡は前日の17:00頃までにお願いします。

   ※③の方もご予定がわかり次第お知らせいただければ幸いです。

   

【事務局宛メールをご利用の場合】

 manebiya.lecoda@gmail.com まで上記と同じ内容をお知らせください。

 キャンセルの場合、上記※印と同じくメール連絡をお願いします。

● 問合せ先   

   manebiya.lecoda@gmail.com (メール受付のみ)

● 主 催

小林秀雄に学ぶ塾in東京

(略称:L’ecoda≪レコダ≫/まねび舎≪まねびや≫/學秀塾)

52599033_800608596963763_504791983802286

講師 池田 雅延(いけだ・まさのぶ)

昭和45年(1970)、新潮社に入り、46年以降、書籍編集担当者として小林秀雄の肉声を聞き続ける。52年、「本居宣長」を刊行、小林秀雄の没後も第5次の「小林秀雄全集」、第6次の全集「小林秀雄全作品」(新字体新仮名づかい、脚注付)を編集・刊行した。

スケジュール

スケジュール

毎月第3木曜日に開催しています。

2021年

 1月21日(木) 信ずることと知ること

       (「小林秀雄全作品」第26集所収)

 2月18日(木) 文化について

       (同第第17集所収)

 3月18日(木) 常識について

       (「同第第25集所収)

 4月15日(木) 中原中也の思い出

       (同第第17集所収)  

 5月20日(木) 芥川龍之介の美神と宿命

       (同第1集所収) 

 6月17日(木) 志賀直哉

       (同第1集所収) 

 7月15日(木) 菊池寛論(同第9集所収)

       菊池寛(同第21集所収)

 8月19日(木) 正宗白鳥(同第3集所収)

       正宗白鳥の作について(同別巻2所収)

 9月16日(木) 「罪と罰」についてⅠ(同第5集所収)

               同Ⅱ(同第16集所収)

 10月21日(木) 「慶州」(同第12集所収)

        「ガリア戦記」(同第14集所収)

 11月18日(木) 「骨董」(同第16集所収)

        「真贋」(同第19集所収)  

 12月16日(木) 「鉄斎」(同第15、17、21集所収)

        「雪舟」(同第18集所収)

2022年

 1月20日(木) 「ヴァイオリニスト」(同第19集所収)

       「蓄音機」(同第22集所収)     

 2月17日(木) 「梅原龍三郎」(同第14,23,28集所収)

​       「地主さんの絵」(同第26集所収)  

 3月17日(木) 「ルオーの版画」(同第28集所収)  

 4月21日(木) 「一ツの脳髄」(同第1集所収) 

 5月19日(木) 「『悪の華』一面」(同第1集所収) 

 6月16日(木) 「様々なる意匠(同第1集所収)

 7月21日(木) 「Xへの手紙」(同第4集所収)

 8月18日(木) 「故郷を失った文学」(同第4集所収)

 9月15日(木) 「カヤの平(同第5集所収)

 10月20日(木) 「私小説論(同第6集所収)

  ※以降は、新ホームページにてお知らせいたします。

会場への道順

   会場への道順

 

※下記の会場への道順は、今後また「江古田の杜リブインラボ」の会場にて開催されるようになった場合のものとなっております。

 

≪JR線 中野駅をご利用の方≫

・北口改札を出て左手のエスカレーターを利用

・右手に見える白いビル「中野サンプラザ」の前のバス停1番のりばで関東バス「中27江古田の森行」もしくは「中25練馬駅行」(いずれも「総合東京病院」経由)に乗車

・約20分でバス停「合同住宅前」、ここで下車(これより手前にある「江古田住宅」ではないのでご注意)

・バスの進行方向右手に白いマンション群、その方向に徒歩約1分

・右手「ファミリーマート」の階上です

 

≪都営大江戸線 新江古田駅をご利用の方≫

1 徒歩の場合 所要時間約10分

・改札口から地上に出、目白通りを渡って直進

・最初の信号地点で道が3本に岐れる、その3本の真ん中を直進

・約200mで左手にバス停「江古田区民活動センター」

・その約20m先を右折、約10mで「江古田憩い橋」

・「憩い橋」を渡ってゆるやかな坂を約50m登り、左折

・左手「ファミリーマート」の階上です

 

2 関東バスを利用の場合 所要時間約5分

・出口左手にあるバス停「新江古田駅」で「中41中野駅行」に乗車

・次のバス停「江古田区民活動センター」で下車

・バス停の約20m先を右折、約10mで「江古田憩い橋」

・「憩い橋」を渡ってゆるやかな坂を約50m登り、左折

・左手「ファミリーマート」の階上です

お申込み/お問合せ

お申込み/お問合せ

メッセージを送信しました

bottom of page