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  • manebiyalecoda

2022年7月講義 「Xへの手紙」


 ●前半「Xへの手紙」​

   (新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)

 ●後半「小林秀雄、生き方の徴」

   (読むということ、書くということ)

 前半の<小林秀雄山脈55峰縦走>は、第七峰、「Xへの手紙」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「Xへの手紙」は、昭和七年(一九三二)九月、小林先生三十歳の秋、『中央公論』に発表された小説です。   俺は元来、哀愁というものを好かない性質だ、あるいは君も知っているとおり、好かないことを一種の掟としてきた男だ、それがどうしようもない哀愁に襲われているとしてみたまえ、事情はかなり複雑なのだ……と、自分について、世間について、恋愛について、孤独について、三十歳の青年が熱く烈しく訴えます。わけても恋愛についての独白は、小林先生自身の実生活が背後にあるとされ、女は、俺の成熟する場所だった、書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた……と、男と女であることの神秘が精神の劇として認識されていきます。  小林先生は、大正十一年十一月、二十歳の年の「蛸の自殺」以来「一ツの脳髄」「飴」「女とポンキン」と相次いで小説を発表し、昭和七年九月、「様々なる意匠」で雑誌『改造』の懸賞評論二席に入って華々しく批評家として文壇に出てからも「からくり」「眠られぬ夜」「おふえりや文」と小説を書き続けていました、ところが、昭和七年、「Xへの手紙」を最後に小説はまったく書かなくなりました。何があったのでしょうか。『中央公論』編集部は小林先生に「小説」を依頼し、先生も「Xへの手紙」を小説のつもりで書いたのです、しかし出来上がったその「小説」は、「小説」と言うよりも「批評」でした、「批評」の文体でした。「様々なる意匠」に記された言葉を借りれば、小林先生の「宿命」が先生に「小説」ではなく「批評」を書かせ、以後、先生の書く文章はことごとく「批評」となっていったのです。  今回は、こうして「批評家小林秀雄」の実質的誕生となった「Xへの手紙」を繙きます。  そして後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「読むということ、書くということ」です。

 講師 池田雅延

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