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2022年6月講義 「様々なる意匠」

●前半「様々なる意匠」​

   (新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)

●後半「小林秀雄、生き方の徴」

   (考えるということ)

 前半の<小林秀雄山脈55峰縦走>は、第三峰、「様々なる意匠」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)を読みます。  「様々なる意匠」は、小林先生の文壇デビュー評論です。昭和四年(一九二九)、二十七歳の年、雑誌『改造』の懸賞評論に応じ、第二席に入って同誌の同年九月号に掲載されました。  一言で言えば、小林先生の批評家宣言です。それまでの日本の文壇では、批評とは評者の趣味やマルクス主義などのイデオロギーを作者に押しつけて良し悪しを言う、そういうものでした。小林先生は、それらの評者に烈しく詰め寄って問いかけたのです、  ――人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!……  この雄叫(おたけび)が日本に近代批評の道をひらき、以後五〇年以上にわたって続いた小林先生自身の自己発見への旅立ちをも告げたのでした。  後半の「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「考えるということ」です。  私たちは、通常、「考える」という言葉を次のように使っています。  ――今夜の夕食、何にしようか、一緒に考えてよ。……  あるいは、  ――今度の連休、どこへ行く? みんなで考えようよ。   ここでの「考える」は、誰もがすでに知っている事柄をいくつか取り出し、それらを比較検討して当面の課題に結論を出す、という意味でしょう。食事であれば寿司かカレーかイタリアンか、といったような事柄ですし、旅行であれば京都か北海道か沖縄か、といったような事柄です。  すなわち考える対象は、それが何であるか、どんなものであるが一応わかっているものばかりです。  ところが小林先生は、「考える」とはそういうことではないと言います。目の前に見えてはる、手で触ってみることもできる、しかしそれが何であるか、どういう意味をもったものであるかはまだわからない、そこでそれらをわかろうとする、知ろうとする、そういうときの心と身体の動きを言った言葉、それが「考える」なのだと言うのです。そうであるなら、よく考えようとすればまず「考える」にふさわしい心と身体の動きを知っておく必要がある、ということになるでしょう。

 その「考える心と身体の動き」はどういう動きであるかを小林先生に教わってお話しします、ご参加下さる方は次の系統図をメモし、すぐ目に入る場所にご用意下さい。  考える→考ふ→かんがふ→かむかふ→か・むかふ→むかふ→身交ふ

 講師 池田雅延

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