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  • manebiyalecoda

2022年5月講義 「『悪の華』一面」

更新日:2022年9月29日

●前半「『悪の華』一面」​

  (新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)

●後半「小林秀雄、生き方の徴」

  (天寿を磨くということ)


 前半の≪小林秀雄山脈55峰縦走≫は、第二峰、「『悪の華』一面」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)を読みます。この作品は昭和2年(1927)、小林先生二十五歳の年の11月に発表されました。

 「悪の華」は、今日、象徴詩と呼ばれている詩型の先駆となった19世紀フランスの詩人、ボードレールの詩集です。小林先生は第一高等学校在学中にボードレールを知るなり「悪の華」を熟読、次いで「詩人が批評家を蔵しないということは不可能である」というボードレールの言葉にも出会って大きく目をひらかれ、後の「批評家小林秀雄」の心髄も文体もボードレールによって培われました。

 今回取り上げる「『悪の華』一面」という文章自体は易しくありませんが、後年、五十二歳の年の春、ボードレールを読んだことは自分の生涯の決定的事件だったと先生自ら言っています。


 同じ日の後半「小林秀雄、生き方の徴(しるし)」は、「天寿を磨くということ」です。

 昭和54年の初夏、鎌倉の「華正樓」で、作家里見弴さんの卒寿(九十歳)と筑摩書房から出た『里見弴全集』の完結を祝う会が催されました。里見さんは有島武郎の弟で、小林先生より十四歳年上でしたが、その席で、発起人代表として最初にスピーチに立った小林先生はこう言いました、

――天寿という言葉があります、天から授かった寿命という意味です、僕らが天から授かったものは才能ではない、命です。ところがちかごろは、みな才能にばかり目を向けて、天才という言葉を乱用し、乱用どころか悪用までしていますが、天寿という言葉はすっかり忘れてしまっています、悪い傾向です、僕はここに現代の不健康を感じます。里見先生は、才能で書いたのではありません、天寿を磨いたのです、今度の全集も、里見先生が磨いた天寿に才能がついてきたのです、それを僕は感じます。……

 そう言った小林先生は、この年七十七歳でしたが、「本居宣長」の『新潮』連載が中盤にかかっていた七十歳の頃、別の会合のスピーチで、「近頃の自分には、命のほかに惜しいものはない、命ほど惜しいものはない」と言っていました。先生自身、早くから天寿を磨き続けていたのです。

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