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2022年2月講義「梅原龍三郎」「地主さんの絵」

  • manebiyalecoda
  • 2022年3月3日
  • 読了時間: 2分

 2月17日、「美を求める心」の第5回は、「梅原龍三郎」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第14集所収)と「地主さんの絵Ⅰ・Ⅱ」(同第26集所収)に人生を読みます。

 梅原龍三郎は、小林先生とはほぼ一回り年上の洋画家です。明治41年(1908)、フランスに渡ってルノアールに師事し、大正2年(1913)に帰国、同9年、再び渡仏しますが帰国後の同15年頃からは彼の豊麗な色彩がいっそう注目され、戦後もたびたびヨーロッパに渡って華麗な風景画を描き続けました。その梅原龍三郎の「色」について、小林先生はこう言っています。

 ――画家の唯一の方法は、色だという単純な真実の深さに、いつも立還り自問自答しているこの純血種にあっては、色調という言葉は、どうも尋常な意味を抜いている様に思われてならないのである。……

 これは、具体的にはどういうことが言われているのでしょうか。その答は「梅原龍三郎展」(同第28集所収)に見られます。そのため今回は、「梅原龍三郎」とともに「梅原龍三郎展」もしっかり読みます。

 そして、「地主さん」こと地主悌助(じぬし・ていすけ)は、梅原龍三郎より1歳年下の洋画家です。30余年にわたった師範学校等での図画教師を経て昭和29年(1954)、65歳の年から画作に専念し、もっぱら石、紙、瓦、大根といったものばかりを本物そっくりに描いて「石の画家」と呼ばれるようになりましたが、小林先生は最初の個展で見てその筆致に感服し、大根の絵を買って帰って夫人に見せました、すると夫人は、「おや、この大根二本は、<す>が立っている」と言ったと「地主さんの絵Ⅰ」に書かれています。「<す>が立っている」とは、根菜の内部にすき間が生じていることを言いますが、小林先生は、「写生写実と呼んでいい地主さんの画風は、言ってみればまあそれほど徹底したものだ。今日に至るまで少しも変らない。その一貫性には驚くべきものがある」と言い、昭和46年(1971)、新潮社主催の「日本芸術大賞」の選考委員の立場からも地主氏を同賞に強く推しました。

 なお、小林先生が高く評価し、親交を結んでいた画家として他に洋画の中川一政、日本画の奥村土牛がいます。今回はこの両画家について語られた「中川さんの駒ケ岳」(同第26集所収)、「『土牛素描』」(同第27集所収)も併せて紹介します。

 講師 池田 雅延

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