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2022年2月17日(木)「梅原龍三郎」「地主さんの絵」 /大江公樹

今回もご講義を有難うございました。池田先生のお話を拝聴してをりますと、画家の方とお話しをしたり、展覧会を訪れたりしてゐる小林先生が目の前にゐるやうな気が致しました。

 講座の最後にあつた質疑応答では、小林先生が、高く評価する梅原龍三郎さんの作品について、原画ではなく「北京作品集」で満足してゐるといふことが、話題となりました。

この小林先生の姿勢は、今回の講義で梅原龍三郎さんと並んで扱はれた地主悌助さんが、絵の題材と向き合ふ姿勢と似てゐるやうに感じました。「地主さんの絵 Ⅰ」の中で小林先生は地主さんの画論について、「自然は在るがままで充実していて、これに修正を加えるなどという事は出来るものではない。そういう自然に寄せられた信頼感が地主さんの画論の変わらぬ中心をなしている。」と述べてゐます。

一方で、何故小林先生が「北京作品集」に満足できるかを考へると、それは「『自分が出会つた芸術作品、そして出会つたといふ宿命そのもの』は在るがままで充実してゐて、これに修正を加へるなどといふ事は出来るものではない。」といふやうな、芸術作品と己が宿命に寄せられた「信頼感」がその根底にあるやうに思ひました。

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