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2022年2月17日(木)「梅原龍三郎」「地主さんの絵」 /栗原哲太

 複製(真贋)について、小林秀雄が現在のネットの状況を予見していたかのような、自由な考えを持っていたことに驚きました。

 写真製版印刷による絵画複製、レコードによる音楽複製、翻訳による文学複製、近代日本が海外の芸術文化を享受しえたのは、これら複製技術の進歩があってのことだったのでしょう。

 真贋の区別さえつきかねる、現代の精緻を極めた複製に比べれば、当時の複製は未熟なものだったかもしれません。けれども、海外に行くことも原本を見ることも今より困難だった時代に、印刷された絵だけを見てゴッホを論じ、後に実物の絵の色を見た時に印刷の色の方がいいと言ったという逸話は、小林秀雄の思い切りの良い確信に触れた思いがしました。

 梅原龍三郎の絵を見てモデルの顔が、絵のような顔とは誰も思わないでしょう。絵を見ることは、現実のモデルの複製を見ることではなく、梅原龍三郎の眼を通して描かれたモデルを見るという体験であれば、印刷物を通してその体験は可能であると言っているように思いました。

 現在のネットの状況下では、無数の作品が透過光の画面を通して見ることが可能です。小林秀雄がスマホの画面でゴッホの絵を見て何と言うか聞いてみたいと思いました。

 『本居宣長』の表見返しと裏見返しに山桜の絵が左右逆版で使われているという話も、複製について何かを示唆しているようでした。絵画作品の左右反転使用など、画家はまず許可しないでしょう。奥村土牛の度量の深さと小林秀雄の遊び心の裏にある複製についての独自の考え方を感じました。

 朝日新聞2月23日の文芸時評(鴻巣友季子氏)が、翻訳版を先に出版し「作者特権の放棄を示すことでオリジナル(本物)vs.派生物(紛い物)という図式や権威主義を突き崩そうとする戦略」の翻訳作品を紹介しています。まさに時代が小林秀雄の発想に追いついてきたのかと思いました。

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