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2022年2月17日(木)「梅原龍三郎」 /金森いず美

 前回の講義後に初めてこの交差点に投稿をしました。いっぱいに散りばめられた思いをゆっくりと言葉にすることで一回の貴重な講義がより深く、形になって心に残ることを感じ、今回の「梅原龍三郎」の感想もまた投稿をいたします。


 梅原龍三郎という画家を知ったのは高校2年の春。授業を抜け出して電車に乗り、人気の少ない美術館で見た梅原龍三郎の絵は、しんとした展示室の空気を破るかのように、命を持った色と色とが額のなかから溢れ出し、強く端的な生命力が有無を言わさずこちらへ迫ってくるようでした。

 先の見えない混沌とした心にドスンとぶつかってきたあの絵、あの時間。私の中にある梅原龍三郎の絵を辿りながら、耳を凝らして今回の講義に臨みました。小林先生は梅原龍三郎そしてその作品に何を見ておられたのか、今回の講義で池田先生は「梅原龍三郎」「梅原龍三郎展」のなかのどの言葉に目を向けられるのだろうか…。

 

 「画家の唯一の方法は、色だという単純な真実の深さに、いつも立還り自問自答しているこの純血種にあっては、色調という言葉は、どうも尋常な意味を抜いている様に思われてならないのである。」


 講義のあいだも、ご案内文にあったこの言葉を繰り返し思い起こしていました。生まれながらの純粋な目を持った画家が色を音楽のように視覚によって捉え、美しい風景に立ち合えばそこに音楽が鳴るかのごとく色彩が鳴るのを聴き、その色彩の音調を決して聴き逃さぬようひたすら目を凝らして、色が目の前に現れるのを待ち続けている。梅原龍三郎の豊かで力強い色調のなかに、誰もが美しいと思える色調の平常性、純粋で原始的な命に向かおうとひたむきに生きる人間の平常な姿を見るような思いでした。

 

 講義を終えて数日後、NHKのアーカイブ映像で見た梅原龍三郎の短いインタビュー映像には、煙草を口にくわえてキャンバスに向かう姿が映し出されていました。その姿は作品と同じ力強さで、感動をこの手でつかまえたいという強い思いが全身から溢れ出ているように見えました。

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