2021年7月15日(木)「菊池寛」 /青山純久
- manebiyalecoda
- 2021年9月4日
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今回、大衆文学の大家、実業家、ジャーナリストなどの顔を持つ菊池寛について、小林秀雄がその人物と作品をどのように捉えていたのか、また池田先生がどのような切り口でお話しになるだろうかと、期待を込めて拝聴しました。
今ではまったく違うものとなった芥川賞・直木賞の創設の成り立ちから、菊池寛と芥川龍之介との関係、純文学と大衆文学という偏狭な分類から抜け出した菊池寛の思想、自ら通俗小説と呼んだ、人間的興味による数々の逸話の発見と創作への発展等々。生計あっての文学という菊池の思想に共感し、その教えを拳々服膺して文学者としての人生を全うした小林秀雄。菊池寛が見たというお化けの話から、人間の魂に深く関わる霊魂の存在に至るまで、池田先生のお話は縦横無尽に展開し、紹介される逸話のすべてが面白く、最後まで興味高く拝聴しました。
小林秀雄が心底敬愛した菊池寛という文学者を通して、文学的意匠に惑わされぬ自由な発想力とその人間的魅力を知ることができました。
「私には、小説を書くことは、生活の為であった。――清貧に甘んじて、立派な創作を書こうという気は、どの時代にも、少しもなかった」
菊池の『半自叙伝』から引用されたこの言葉に、ある種の信念に基づいた作家の意志を感じると同時に、成功者の逆説と捉えることもできます。
「ここに彼の信念があったと見るべきだ。つまり、創作の動機は、生活上必至な様々な動機のうちの一つであり、この動機が何か特別に高級な動機と思い込むのは、感傷的な考えである。という信念である。」と小林秀雄は書く。
『菊池寛文学全集解説』を読み進んでいくと、菊池寛について書かれた文章でありながら、いったいどこからが菊池寛の言葉で、どこまでが小林秀雄の言葉なのか、混乱して読み返すことが度々ありました。後日、池田先生のご講義内容を辿る中で、菊池寛という人物に対する小林秀雄の敬愛と共感を支える心情には、大学卒業後、文筆活動で生計を支えなければならなかった、若き小林秀雄の切実な人生経験が重なっているのではないだろうか、と思いを巡らせました。
京都の学生時代の自身をモデルにした「無名作家の日記」にはこのように書かれています。
「一人の天才が選ばれるためには、多くの無名の芸術家が、その足下に埋草となっているのだ」
溢れ出る才能や天才としての創造の源泉に恵まれ、表現という手足が活発に働いて、時代の風がそれを後押しする。このような複雑な過程を前提として、いったい何人の芸術家が経済的な道を得る運に与れるのか。この問題においては、当然ながらその作品の善し悪しに関係なく、無名の埋草となる運命を孕むことを意味しています。たとえば、私の青年期の妄想を顧みても、長い夢から覚めなかった時期があり、畢竟今もまだ覚めやらぬ夢の中にいるのかもしれない、と思ってみたりします。
「菊池氏の鋭敏さは志賀氏の鋭敏さと同様に当代の一流品だと思っている。鋭敏さが端的で少しも観念的な細工がないところが類似している」*昭和12年「菊池寛論」(『小林秀雄全作品』第9集所収)
文学を忘れた生活、生活を忘れた文学。どちらも人生における大切な仕草が欠けている。とすれば、読者の人生全体から考えると、文芸的価値よりも、生活体験において文芸作品を判断し、また評価することの方がより自然、と考えることができます。
「一般に文芸とは何かを論ずるより、実際、今日、わが国に於いて、文芸作品はどのように鑑賞されているか、どのように経験されているか、という事実の方が、余程大事なことだったのである。現に経験されている事実に注目せよ。これが菊池寛が本当に言いたかった事なのだ。」*昭和35年「菊池寛文学全集」解説(『小林秀雄全作品』第23集所収)
つまり、大衆の生活を描いて生活に流されない思想の軸を、自らの方法論の中で意識的に確立していた菊池寛においては、文学青年の憂鬱が語るように、純文学としての高い志を持たない作家は、大衆に迎合することで堕落するという強迫的な予断を越えていました。エンターティメントは芸術たり得るか、という、未だに繰り返される古くからの命題を立てても、大衆と芸術という二つの観念は永久に並立することになります。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である」*昭和35年「無私の精神」(『小林秀雄全作品』第23集所収)
池田先生のお話は後半に入って、愈々この日の白眉ともいえるエピソードに遷っていきます。菊池寛が見たおばけの話からはじまり、小林秀雄が若い頃に泉鏡花を愛読したこと、柳田国男について語った「信じることと知ること」の講演、そして、ベルグソン論「感想」の出だしに書かれた蛍の話。現実には見ることが出来ないが、魂には見ることができる。そして、魂で見ることができない限り、本当の体験にはならないのだ、と私の勝手な理解は進んでいくのでした。
「信じることと知ること」の講演を随分前にレコードで聴いて、柳田国男の「故郷七十年」を引きながら語られる、おばあさんの蠟石の話と炭焼きの親子の話がいつまでも私の記憶に残りました。特に信心深くもない私ですが、その時、魂について語る小林秀雄に、なぜか無条件の信頼を感じたのでした。科学や哲学が、普段はなかなか目に見えない魂というものに、その直接的な経験でさえ、科学的合理性のもとに排除してしまうことについて、どんなに頭の良い人であっても、その人の思想の限界を見るような気がしたものでした。
魂や霊魂というものは、個人を成り立たせている高度の要素であって、本当の世界や永遠とつながるために必要な絶対的な存在と思えたからでした。それがなければ、決して美や真実へと至ることができないという想いが、私の中に予感のようにありました。
小林秀雄という高名な文学者は合理主義者に違いないと思い込んでいた当時の私は「柳田さんはおばあさんの魂が見えたんです」と言い切るその迫力にまず圧倒され、そういうことが分からないんだね、馬鹿には、と切って捨てる啖呵の切れ味に、背中がぞくぞくしたことを憶えています。
「小林先生が、今まさに皆さんに会いに来て下さっているというくらいの思いで、皆さんをお迎えしています」と、冒頭に池田先生がおっしゃったことが、その夜、お話を聞いている間中、私の心の中で静かに波打っていました。最後の『感想』の蛍のお話に至ると、まさに其処に、小林秀雄の魂が、先生の肩越しに見え隠れするように感じたことを記し、私の拙い感想を終えることといたします。
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