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2021年11月講義「骨董」「真贋」

  • manebiyalecoda
  • 2021年12月4日
  • 読了時間: 2分

 先月から始めた「美を求めて」シリーズの第2回となる今月は、「骨董」と「真贋」を読みます。

 小林先生は、三十代半ばの昭和13年頃から20年頃まで、約7年にわたって骨董に熱中しました。骨董という言葉を辞書で引くと「古美術品や価値のある古道具。アンティーク」等とあり、一般に理解されている意味合もこのあたりと思われますが、小林先生の骨董いじりはそういう面での趣味や道楽ではなく、一言で言えば「眼」と「精神」の徹底鍛錬でした。先月読んだ「『ガリア戦記』」にこう書かれていました、――ここ一年ほどの間、造形美術に異常な執心を持って暮した、色と形との世界で、言葉が禁止された視覚と触覚とだけに精神を集中して暮すのが容易ならぬ事だと初めてわかった……。

 壺なら壺という言葉を発しない美しいものが一方的に強いてくる沈黙に耐え、いっさいの言葉が締め出されたなかで何が見えてくるか、何が聞えてくるかをひたすら待つ……。この鍛錬は、たちまち先生の文学、そして歴史を見る眼を一変させ、「『ガリア戦記』」と相前後して書かれた「無常という事」には、「歴史というものは見れば見るほど動かし難い形と映ってきていよいよ美しく感じられた」「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」と記し、さらに「モオツァルト」には、現代では「真らしいものが美しいものに取って代った、真理というものは、確実なもの正確なものとはもともと何の関係もないものかも知れないのだ。美は真の母かも知れないのだ」と言い、「コメデイ・リテレール」では「美は真を貫く、善も貫くかも知れない」と言っています。

 「真贋」では、そういう骨董いじりによって目の当りにした「器物に関する人間の愛着や欲念」の尋常ならざる様相を自分自身をも含めた骨董好きの狂態に見て取り、その狂態によって露わとなった人間の本性と「美」の本性に思いを馳せます。

 今回は、こうして「美」に鍛えられた小林先生の「眼」が、「人生」を鋭く貫くさまを見ていきます。

 講師 池田 雅延

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