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2020年2月『実朝』

  • manebiyalecoda
  • 2021年1月11日
  • 読了時間: 2分

 「実朝(さねとも)」は、源実朝です。鎌倉幕府を開いた頼朝の次男で、自身も第三代の将軍となりましたが、二十八歳の正月二十七日、雪の降り積む夜の鶴岡八幡宮で兄頼家の子に殺されます。将軍とはいえ、実権は母政子の親元、北条氏に握られていた実朝でした。

 小林氏は、実朝横死の奇々怪々を幕府の手になったとされる史書「吾妻鏡」の紙背に追い、彼の歌に「何かしら物狂おしい悲しみに眼を空にした人間」を読み取ります。人口に膾炙した歌「箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波の寄るみゆ」も大変悲しい歌と読んで、「大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、またその中にさらに小さく白い波が寄せ、またその先に自分の心の形が見えて来るという風に歌は動いている」と言い、先月読んだ西行の歌と同じように、実朝の心の微妙な調べを聴き取っていきます。

 雄大と言われてよく知られた「大海の磯もとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも」についてもこう言います、「こういう分析的な表現が、何が壮快な歌であろうか。大海に向って心開けた人に、このような発想の到底不可能なことを思うなら、青年の殆ど生理的とも言いたいような憂悶を感じないであろうか」「いかにも独創の姿だが、独創は彼の工夫のうちにあったというよりむしろ彼の孤独が独創的だったと言った方がいいように思う。自分の不幸を非常によく知っていたこの不幸な人間には、思いあぐむ種はあり余るほどあったはずだ。これは、ある日、悶々として波に見入っていた時の彼の心の嵐の形である」……。 

 今月、二月二十日の夜は、こうして小林氏がきめ細かに聴き取っていく実朝の叫びを十二首取上げ、小林氏に導かれて彼の孤独な魂と対面します。

 講師 池田雅延

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