2020年12月17日(木)『生と死』/匿名希望
- manebiyalecoda
- 2021年1月11日
- 読了時間: 2分
今回は特に誰にでも関わってくる死ということがテーマのご講義ということで、大変楽しみにしておりました。
青年期には誰もがと言ってよいほど死にたいということを考えるのではないでしょうか。私は躁鬱病ということもあり、また、実生活上の不安もあって、いつもと言ってよいほど死にたいということにとらわれている状態です。それほど死について考えていながら、実際は怖くて死ねないということもまたわかりきっていると言ってよいのが、この死にたいという病の特徴でもあります。
どう虚勢を張ろうと、やはり死というものは怖い。獅子文六さんが、自分が間もなく死ぬということを知って、自殺しようという衝動に駆られる気持ちは私にはとてもよくわかります。私自身、身につまされるものがあるからです。ところが、獅子さんは、牡丹を見て、牡丹に感じ入り、頭を下げ、牡丹が朝日を浴びる時に花唇を開くのを見て一と息に書く。そこで新しい自分を知るというのは本当に感動的なものがありました。
私も、病気からくるものの他に将来的なことへの不安からも、本当に憂鬱になることも多いです。しかし最近では、池田塾頭のご講義を受ける機会も多くなり、そのための勉強をすることや、また将来、池田塾頭のように小林先生の「本居宣長」の解説を書きたいという目標を持つことによって、生きる意味を改めて感じることが出来るようになってきました。本当に感謝しております。まさに、小林秀雄先生と池田塾頭は私にとって、獅子文六さんの牡丹でもあります。
とりとめもない感想になり申し訳ございません。池田塾頭には、これからもどうぞ長生きされて、人生の先輩としてもご先導、ご指導ご鞭撻をよろしくお願い致します。
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