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2019年9月19日(木)『当麻』感想/M.I

  • manebiyalecoda
  • 2020年2月17日
  • 読了時間: 2分

 当麻は、あの有名な一節「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」が登場する作品ですが、心に清らかに響くこの言葉の真相を知りたく、江古田のご講義に臨みました。

 池田先生より、その答えは世阿弥の『風姿花伝』にあるとのご解説を頂き、その明瞭さを得た満足感と共に、作品そのものに静かに魅かれました。

 雪景色の夜道の中、緩やかに、また大胆に巡る小林先生の心象風景。そこに綴られる日本ならではの美彩色や音色、そして「仔猫の死骸めいた」とつづられる奇異な形容。

 何度か読み返すうち、何故か決して意図的ではない流れだと確信するや、その景色が心に淡く薄っすら立ち現れては、親しむ様になりました。

「中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは、歴史の泥中から咲き出た花の様に見えた」

 果たしてどの様な永遠を紡ぎ出したのだろう。どうしても知りたくてグーグル検索に頼っていた時、ふと脳裏を過ぎったのが、山口小夜子さんの姿でした。

 1970年以降、世界を虜にしたファッションモデルです。ショーでひときわ艶やかにウォークする小夜子さんは、中将姫の舞姿と重なる、まさに息をのむ程の「美」を体現していました。

 奇しくも、彼女はとあるインタビューで、幼少期の最も強く記憶している思い出が、夏祭りに観た能神楽の舞台だと語っています。

 また「貴女にとって、着るとはどういう事ですか?」との問いに印象的な答えを返されています。「服がどうやってきて貰いたいのか、声が聞こえてくるのです。人はどんなものでも着ることが出来ると思っています。服だけでなく、風も土も水も、そして缶やコンクリートさえも人は着ることが出来ると思っています。私たちの身体だってそう、魂が身に纏っているものと信じています」と。

 また、表現者として心掛けていることを尋ねられると「意図的なものを一切排除します。若しくは自分を無くする、本質に近づくと言う事でしょうか」との応え。

 淀みのない、一種神がかった言葉に、日本美の本質を垣間見た気がしました。胸中時を超え、何か日本のミューズ達の願いがはっきりと符号した瞬間に思えました。

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