top of page
  • manebiyalecoda

2019年8月講義『本居宣長』

更新日:2021年1月11日

 小林秀雄氏の全作品を長大な山脈に見立てて「小林秀雄山脈」と呼び、そのなかでもひときわ高く聳える6つの峰、すなわち「ランボオⅠⅡⅢ」「ドストエフスキイの生活」「モオツァルト」「ゴッホの手紙」「近代絵画」「本居宣長」にまず登ろうという私たちの試みはいよいよ6番目の峰、というより最高峰も最高峰の「本居宣長」に登るところまできました。「本居宣長」は、小林氏が63歳の夏から74歳の冬まで雑誌『新潮』に連載、さらにその連載稿に徹底的に推敲の筆を加えること約1年、計12年余の歳月をつぎこんで完成した文字どおり畢生の大作です。

 本居宣長は、江戸時代の中期に活躍した大学者ですが、彼の最も大きな業績は「源氏物語」と「古事記」を現代の私たちもが正しく読めるようにしてくれたことです。平安時代に書かれて以来、作者紫式部の真意を無視して勝手気儘な読み方が罷り通っていた「源氏物語」を、700年以上もの時を超えて初めて正当に読み解き、さらには、まだ平仮名も片仮名もなかった奈良時代に漢字だけで書かれたため、あっというまに日本人の誰にも読めなくなってしまっていた「古事記」を、1000年もの眠りから覚まして誰もが読めるように解読したのです。

 小林氏の「本居宣長」は、こうして長い間、日本人の誰もが誤読するか手を拱いているかしかできなかった「源氏物語」と「古事記」を、なぜ宣長は一代で、しかもたった独りで読み解くことができたのか、そこを精しく追った本です。宣長の学問の根底には、私たち日本人はどう生きていけばよいかという大きな問いがありました。その問いの答を宣長は「源氏物語」と「古事記」に求めた、そこが両作品解読の鍵だったと小林氏は言います。それはまたどういうことでしょうか。


 講師 池田雅延


*「本居宣長」は、新潮社刊『小林秀雄全作品』の第27集、第28集に入っています。

閲覧数:40回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年9月の講義 「カヤの平」

●前半「カヤの平」 ​(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収) ●後半「小林秀雄、生き方の徴」 (見るということ、聴くということ) ​ 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第十峰、「カヤの平」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収)を読みます。 「カヤの平」は、紀行文です、しかし、並みの紀行文ではありません。昭和八年(一九三三)、三十歳の一月、小林先生は文学仲間でもあった深田久弥氏についてスキー

2022年8月講義 「故郷を失った文学」

●前半「故郷を失った文学」 ​ (新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収) ​●後半「小林秀雄、生き方の徴」 (知るということ、感じるということ) 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第八峰、「故郷を失った文学」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「故郷を失った文学」は、小林先生三十一歳の年の昭和八年(一九三三)五月、『文藝春秋』に発表されました。 小林先生は、明治三十五年四月に東

2022年7月講義 「Xへの手紙」

●前半「Xへの手紙」​ (新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収) ●後半「小林秀雄、生き方の徴」 (読むということ、書くということ) ​ 前半の<小林秀雄山脈55峰縦走>は、第七峰、「Xへの手紙」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「Xへの手紙」は、昭和七年(一九三二)九月、小林先生三十歳の秋、『中央公論』に発表された小説です。   俺は元来、哀愁というものを好かない性質だ、あるい

bottom of page