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  • manebiyalecoda

2019年6月講義『ゴッホの手紙』

更新日:2021年1月11日

​ 第6回の6月20日は「ゴッホの手紙」を読みました。

 ゴッホは、言うまでもなく「烏のいる麦畑」や「ひまわり」や多くの自画像などで知られる画家ですが、画家としての修業を始めたのは27歳の年、それから約10年、37歳で自殺するまでの生涯において、実の弟テオに700通もの手紙を書きました。この手紙はテオの妻、ボンゲル夫人によって全3巻の全集に編まれ、小林氏はそれを読む機会に恵まれたときの感動をこう記しています、

 ――僕は、殆ど三週間、外に出る気にもなれず、食欲がなくなるほど心を奪われた。幾年振りでこんな読書をしたろうか。ボンゲル夫人は、序文の冒頭に、ゴッホの弟の母親宛の手紙の一節を引いている。「彼(ゴッホ)は、何んと沢山な事を思索して来たろう、而も何んといつも彼自身であったであろう、それが人に解ってさえもらえれば、これは本当に非凡な著書となるだろう」、いかにもその通りだ、これは告白文学の傑作なのだ。そしてこれは、近代に於ける告白文学の無数の駄作に対して、こんな風に断言している様に思われる、いつも自分自身であるとは、自分自身を日に新たにしようとする間断のない倫理的意志の結果であり、告白とは、そういう内的作業の殆ど動機そのものの表現であって、自己存在と自己認識との間の巧妙な或(あるい)は拙劣な取引の写し絵ではないのだ、と。……

 小林氏は、早くから「批評家も小説家と同様に、創造的な作品を書くのだ」と宣言し、その大望を「ドストエフスキイの生活」(昭和14年)「モオツァルト」(同21年)と実現してきて、昭和27年50歳の年、「ゴッホの手紙」を書き上げました。すべてはゴッホ自身に語らせるという新手法をおのずと生みだし、この手法が後の「本居宣長」(同40年~)へとつながっていきます。

 

 講師 池田雅延


*「ゴッホの手紙」は、新潮社刊『小林秀雄全作品』の第20集に入っています。

【事務局からのお知らせ】ゴッホの作品が見られる展覧会情報

  国立西洋美術館/松方コレクション展

  2019年6月11日~9月23日

  「アルルの寝室」(オルセー美術館)

  「ばら」(国立西洋美術館)

  ※詳しくは、以下特設サイトをご参照ください。

https://artexhibition.jp/matsukata2019/

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