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2019年5月講義『モオツァルト』

更新日:2021年1月11日

 第5回の5月16日は「モオツァルト」を読みました。

 小林氏の文章には、突然、稲妻のように光り、読む者の目を鋭く射て心に刺さる、そういう言葉がいくつもあります。「アシルと亀の子Ⅱ」の<批評するとは自己を語る事である、他人の作品をダシに使って自己を語る事である>もそうですし、「当麻」の<美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない>もそうです。

そういう「小林秀雄の言葉」のうちでも最も知られ、最も親しまれているのは<モオツァルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけない>だと言っていいでしょう。作品「モオツァルト」に次のように書かれています。――モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡(うち)に玩弄(がんろう)するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、「万葉」の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい……。

 実は、この一節に、作品「モオツァルト」のすべてが凝縮されています。26歳の冬の夜、着の身着のまま大阪の道頓堀をさまよっていた小林氏の頭の中で、不意にモーツァルトの交響曲第40番が鳴ったという経験から書き起こし、モーツァルトの音楽と声に耳を澄まし続けた小林氏が、「モオツァルト」で書きたかったことの心髄を一言で言いきった言葉が<モオツァルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけない>なのです。

では、モーツァルトは何をかなしんでいたのでしょうか。涙は追いつけない、とはどういうことなのでしょうか。「万葉集」の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」とはどういう言葉なのでしょうか。今回の講義では、この一句が噴き出たモーツァルトの「弦楽五重奏曲 第4番 ト短調」を、小林氏が晩年、好んで聴いていたスメタナ四重奏団とヨゼフ・スークの演奏で聴きました。

 

 講師 池田雅延

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