top of page
  • manebiyalecoda

2019年2月講義『美を求める心』

更新日:2021年1月11日

第2回 2019年2月21日

「美を求める心」


 第2回は「美を求める心」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第21集)を読みました。この作品は、元はといえば小学生・中学生に向けて書かれた文章です。したがって、難しいことは何も言われていません。しかしここで言われていることは、小林氏が大人に向かって言い続けたことのエッセンスです。氏の文筆生活は60年に及びましたが、「美を求める心」はそのちょうど中間点で書かれました。前半30年のエッセンスがここに流れ込み、後半30年のエッセンスがここから流れ出ています。

 小林氏にとって「美」は、「人生」と同義語です。絵や音楽がわかりたいなら頭でわかろうとせず、たくさん見なさい、聴きなさい、と言い、目も耳も訓練しなければ見えるものも見えない、聞えるものも聞えないと言います。たとえば菫の花を見て、私たちはたいてい、「ああ、菫だ」と思うだけですませてしまいますが、それではいけない、黙って一分間見つめるのだ、すると細かい部分の形や色までが浮き立って見えてきて、菫の花にも自分の目にも驚くはずだと小林氏は言います。

 ではなぜそこまでするのでしょうか。菫の花の姿に感じてそれまでは思いもしなかった何かに気づくように、人間の姿に感じて人生の大事に気づく、そうなるためだと小林氏は言います。

 小林秀雄は何から読むのがよいかと訊かれたときは、どなたにも「美を求める心」を一番に、と池田講師は答えています。


 講師 池田雅延

閲覧数:39回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年9月の講義 「カヤの平」

●前半「カヤの平」 ​(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収) ●後半「小林秀雄、生き方の徴」 (見るということ、聴くということ) ​ 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第十峰、「カヤの平」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第5集所収)を読みます。 「カヤの平」は、紀行文です、しかし、並みの紀行文ではありません。昭和八年(一九三三)、三十歳の一月、小林先生は文学仲間でもあった深田久弥氏についてスキー

2022年8月講義 「故郷を失った文学」

●前半「故郷を失った文学」 ​ (新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収) ​●後半「小林秀雄、生き方の徴」 (知るということ、感じるということ) 前半の<小林秀雄山脈五十五峰縦走>は、第八峰、「故郷を失った文学」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「故郷を失った文学」は、小林先生三十一歳の年の昭和八年(一九三三)五月、『文藝春秋』に発表されました。 小林先生は、明治三十五年四月に東

2022年7月講義 「Xへの手紙」

●前半「Xへの手紙」​ (新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収) ●後半「小林秀雄、生き方の徴」 (読むということ、書くということ) ​ 前半の<小林秀雄山脈55峰縦走>は、第七峰、「Xへの手紙」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第4集所収)を読みます。「Xへの手紙」は、昭和七年(一九三二)九月、小林先生三十歳の秋、『中央公論』に発表された小説です。   俺は元来、哀愁というものを好かない性質だ、あるい

bottom of page