2019年12月20日(木)『徒然草』感想/トンベ
- manebiyalecoda
- 2020年2月17日
- 読了時間: 2分
12月20日のlecodaで取り上げられたのは『徒然草』。最後の6行の謎めいた文章について、池田先生はまず吉田凞生氏の説を話された。
即ち、米の類は人間の手で育てられたものだが、栗は人間の手が加わっていない、これは娘が人間嫌いであるということを示唆していて、だから嫁には行かせられないのだ、と。
続いて、池田先生は、その前の段落の「無下に卑しくなる時勢とともに現れる様々な人間の興味ある真実な形」の象徴として、栗しか食べない娘を小林秀雄氏は取り上げられたのではないかとおっしゃり、さらには、他の段の兼好法師の言葉、例えば第一段の、いくら容貌がよくても中身がなければ駄目だという話から、だから、そんな娘は嫁に出せないと入道は言ったのではないかと説得力のある分析をされた。
しかしそのあと、これは様々ある解答の一つで、正解という訳ではない、大事なのは皆さん方読者が自分の心を駆使して、自分なりの正解を出すことだと言われた。
そのあとの懇親会では、この正解探し?で盛り上がった。X氏は、「そういう栗しか食べない面倒な娘は、親としては嫁に行ってもらった方が清々するのではないか」と言われ、対して私は、「最初は異様な娘を嫁に出したら、相手に迷惑が掛かるから、相手のためを思って出せないのだと思ったが、これが実際、自分の娘だったらと想像してみると、実の娘だから我慢して一緒に暮らしているが、他人のところに行けば、必ず問題を起こす、それなら今まで通り一緒に暮らしていくのが良いと、むしろ娘のためを思って嫁に出さなかったのではないか」と言った。すると、Y氏は、「それだけ容貌が優れた娘なら、男も我慢できるはずだ、そういった例は今でも昔でもたくさんある」と言われた。うーん、確かにその通りかもしれない、とその時は思った私。
その後も様々な意見が飛び交い、lecodaの夜はいとおしく更けて行くのであった。
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