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2019年10月講義『無常という事』

  • manebiyalecoda
  • 2019年10月31日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年1月11日

 今月は、「無常という事」を読みます。この作品は昭和17年(1942)6月、小林氏40歳の年に書かれました。

 一般に「無常」という言葉は、この世のはかなさを言った仏説、あるいはそこから派生した死の類語と受取られています。たとえば『広辞苑』には「①[仏]一切の物は生滅・変化して常住でないこと。②人生のはかないこと。③人の死去」とあり、『日本国語大辞典』には「①[梵語anityaの訳]一切万物が生滅変転して常住でないこと。現世におけるすべてのものが移り変ってしばしも同じ状態にとどまらないこと。特に生命のはかないこと。②特に、人の死を言う」とあり、『大辞林』には「①[仏]万物は生滅流転し、永遠に変らないものは一つもないということ。②人の世の変りやすいこと。命のはかないこと。③人間の死」とあります。

 しかし、小林氏は、そうではないと言います、「この世は無常とは決して仏説というようなものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」……。

小林氏は、「無常」は単に、死と背中合わせというだけの言葉ではなかった、人間が人間になるための秘訣を教える言葉だったと言います。では、小林氏の言う「人間の置かれる一種の動物的状態」とはどういう状態でしょうか。現代人が見失った「常なるもの」とは何なのでしょうか。今回はそこを読みぬいていきました。


講師 池田 雅延

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